新 白川夜話

3.投稿時代(1999.3.27掲載)

投稿時代

 子供の頃から漫画を読むのも描くのも大好きで、職業として漫画家を選ぼうとまでは思わなかったが、自分の作品を一度は商業誌に載せて みたい、というのが夢だった。
 大学時代は漫画研究部に入り、ポツポツとストーリー漫画らしきものを描いていたのであるが、しだいに、自分にはどうやら漫画を描くのに必要不可欠な、お 話を作る才能がないのがわかった。

 ある時、別に漫画でなくても自分の作品を商業誌に発表することが可能であることに気づいた。

 それが、SM雑誌の投稿欄である。

 SM雑誌は、誌面におけるイラストやカットの占める割合が非常に高い。特に当時の業界トップ誌であったSMセレクトは、新しい作家の 発掘に熱心であり、投稿欄も充実していた。私は手始めにセレクトに投稿してみることとした。
 ペンネームは「白川京二」とした。特にこれといった意味はない。当時京都の北白川に住んでいたことと、画数が少ないので、楽だということで決めたのであ る。

 一回目は四枚ほどの作品を送っただろうか。それが昭和55年7月に一枚、翌8月に姉妹誌である小説SMセレクトと合計で三枚が掲載さ れた。以後昭和60年12月までに合計六〇枚以上のイラスト・カットががセレクトおよび小説セレクトに掲載されることになる。
 

 イラスト修行

 女性の絵を描くのが大好きである。ついでだが、女性そのものも大好きである。そもそも漫画を描き出したのも、自分の好きなタイプの女 性の絵が描きたいがためだ。漫画の場合は、ストーリーの進行上、描きたくない絵も描かねばならないが、一枚絵であるイラストやカットは、主役である女性を しっかり描きこめば、後は比較的どうでも良い。

 しかし、女性の裸は難しい。これほど微妙な曲線で囲まれた物体は世の中にないであろう。造化の極致ともいえる。
 自分のイメージに近い絵が描けるようになるため、好きな劇画家やイラストレーターの絵は随分模写をした。模写は画力上達の近道である。

 また実物の裸体モデルのクロッキーも随分やった。デッサン用の写真集も買って、練習した。
 その結果、多少は自分のイメージに近い女性が描けるようになったが、やはりまだまだ素人の域を出ない。少し前に描いた絵を見直すと、その下手さ加減に赤 面する。
 

 一枚絵のおもしろさ  

 投稿カットの難しいところは、一枚の絵で、状況を全て表現しなければならないところである(連作のイラストというのもあるが)。
 SM雑誌のカットだからといって、裸の女性が縛られていればOKというものではない。その女性が、どういう属性をもっているのか(人妻か、女学生か、看 護婦か‥‥)、年齢はどれくらいか、どういう理由でここにいるのか、誰に何をされているのかといったことが絵を見てわからなければ面白くないのである。

 そのためには、全裸よりも、多少の衣装を身につけていた方がよい場合もある。小道具や背景にも気を配らなければならない。
 小説の挿し絵であれば、状況は小説の文章で説明されるので、そこまでの配慮は要らないだろう。それに対して一枚物のカットは一コマ漫画のような難しさが あるし、そこが面白いところでもある。

 それと、やはりマニアが描くわけだから、その道に対するこだわりというか、病気のようなものが表現されていないと物足りない。プロの 仕事としての挿し絵なら、ある程度以上の画力がないとどうしようもないが、投稿カットの場合は、技術よりもそういったこだわりが重要である(もっとも、だ からといって下手でも良いというわけではない。健全なプロの絵より、病気のアマの絵の方が面白いということである。病気のプロがいれば一番良い)。
 

 CGにはまる  

 一時遠ざかっていたSMイラストの世界に再び足を踏み入れたきっかけは二つある。

 ひとつは、風俗資料館ホームページの運営をしているN氏から、ホームページに昔の絵を掲載してみないかというお話があり、掲載したと ころ、内外から結構反響があったことである。
 ショートカットフェチというテーマで取り上げられていたが、そういえば自分では忘れていたが、以前N氏に確かにそんな話をした記憶はある。

 次に、ペインタークラシックというというペイントソフトを買って、これに見事にはまってしまったことである。
 以前からパソコンを使ったお絵描きには興味があったのだが、下絵を書いて、スキャナで取りこんで、さらに彩色などという手間を考え、二の足を踏んでいた のである。
 しかし、ペンタブレットでいきなり下絵を描いて、ペイントソフトのトレーシングペーパー機能を使って彩色していけば実に楽チンである。色付のイラストが 2時間強で出来あがる。修正も簡単で、画材を出したり片付けたりする手間も要らない。一枚描くとやめられないとまらないのかっぱえびせん状態に陥ってし まった。

 余談であるが、CGというとすぐに3Dだのなんだのと難しいことをいう人が多い。CGの専門書もそういった難しい視点から描かれ、 フォトショップを駆使した高度な技術を要求するものがほとんどである。
 しかしながら、3Dで描かれたリアルな美女の絵を見ても、上手いなと思うことはあってもちっともチンピクしないのである。よく出来たお人形さんを見てい るようである。ピグマリオンコンプレックスの人にはちょうど良いのかもしれないが。
(それと、ここだけの話だが、といってももう書いてしまっているが、フォトショップなんていう高いソフトを個人の趣味のために購入することが現実的か? フォトショップは不正コピーが非常に多いと聞いている。筆者はもちろんフォトショップは使っていません。)
 いずれ色気を持った3D美女が出現することと思われるが、それまではバーチャルアイドルなどというものはあり得ない。コンピュータによるお絵描きをもっ と気楽に考えた本は出ないのかと思う。
 

 春画の迫力

 最初のうちは発表を意識したもの(資料館で、絵葉書にして販売しているものがそれである)を描いていたのであるが、そのうちまったく 自分の楽しみ用に描き出すと、これがまた面白い。
 いけない個所を克明に誇張的に描いた、とても発表できない作品があっという間に何十枚もたまってしまった。

 しかしながら、自分の助平振りをいいつくろうわけではないが、人間のあるべきところにあるものを描かないということはやはりおかしく と思う。また、春画は人間の官能を超えたところに訴える迫力があると感じるのである。
 自分の楽しみ用の絵は、鬼六さんや杉村春也の小説をテーマにしたものがほとんどだが、自分の絵の中の、性器や肛門まで克明に描かれたヒロインを見ている と、今までのそれら小説の挿絵は、作品世界を忠実に表していないと思ったりするのである。
 もちろん自分の稚拙な絵よりも、プロの絵の方がうまいのは確かなのだが、制約の下で、本来あるべきものが描かれていない絵は、やはり不充分だといわざる を得ない。

 なお、ここに発表した作品はどれもしかるべく修正を行っている。不特定多数に見せると犯罪である。修正前のを見せてくれとメールを下 さってもご要望には応じられないので悪しからず。
 

(2002.12.31追記)

 この頃は3Dに否定的で、とても今のように3Dにはまっている白川の姿は想像できな い。Dazのビクトリアや関連製品の登場によりPoserの表現力が飛躍的に向上するのはこの後のこと。

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